抜刀隊の歌(陸軍分列行進曲)は軍歌なの? いやいや、警官隊の歌です。
陸軍分裂行進曲とも呼ばれるが、もともとは軍歌ではなく警官隊(警視庁抜刀隊) の歌である。明治の歌らしく、敵の将兵を褒めたたえ、しかし、我は官軍、敵は賊軍、いかに勇猛果敢な敵であっても、賊の栄えた試しはない、「白刃の下で命を懸けて戦え」と言う勇ましい歌なのだが、ここにも日本刀や武術に対する誤解があり、当連盟初代会長中村孝先生のご先祖たち西郷隆盛軍と、官軍となった警視庁抜刀隊が田原坂で激戦を展開をした。中村先生のご先祖はこの田原坂で戦死されたのだが、この時の警官隊を歌った歌が、この抜刀隊の歌である。(歌は西南戦役後に作られたらしい。詳しくはWikipediaを参照されたい)
これが大日本帝国陸軍に引き継がれて分列行進曲となり、さらには陸上自衛隊にも引き継がれている。西南戦役は明治十八年だったかと思うが、当時は警察官が戦場に駆り出されることもあったようである。もっとも戦うことを目的に作られた組織が自衛隊だが、創設当初の名称は警察予備隊だったことは多くの方はご存じのはずである。
この歌の歌詞にあるような「玉散る氷の刃」とか「白刃」・などと称されて日本刀は素晴らしい武器のように誤解されているが、戦場に通用する武器ではなく、身に纏うための刀剣としては、世界最強、最高の武器だったと言うことで、戦場で通用するようなものではなかった。戦場で通用する主力武器は先ずは弓矢、次いで槍という順序で、鉄砲が伝えられてからは当然、第一が鉄砲と言うことになる。身に纏う最強武器は現f代なら当然ハンドガンすなわちピストルであろう。
日本刀は現代ではナマクラに近いものだろうが、日本で生まれた高炭素鋼の刃物は、世界を何百年かにわたってリードしていたので、昔は世界一優秀な刀剣であったことは確かである。
まず、主戦武器は鉄砲だが、鉄砲の数に限りがあり弾薬も数が限られるとなれば、次に身近にあるものは銃剣である。そこで銃剣による突撃、銃剣術の出番となるが、これが最後の手段である。しかし、西南戦役のころは腰に刀を帯びて鉄砲を担いで戦場に出ていたから、白兵戦となれば日本刀の出番が来たと思われる。
そこで賊軍の抜刀隊が威力を発揮したので、慌てた官軍の側は、急遽、剣術の先生たちを集めて急ごしらえの警視庁抜刀隊を編成して戦場に送った。そこでこの抜刀隊の歌が生まれたのだが、実際は賊軍の抜刀隊に対して警視庁抜刀隊はまり威力を発揮しなかったらしい。
西郷軍の抜刀隊は、薩摩藩の方針として、幼少のころから人を斬るための筋力を鍛え鍛えていた人たちだった。それは最近放映されているNHKどらま「せごどん(西郷さんの意)」で見られるように、棍棒で束ねた木の枝と棍棒が部落にの出入り口に備えられていて、それを百回叩いてから部落への出入りをしてそうである。筆者は中村会長からこの話をよく聞かされていた。
これに対して、警視庁抜刀隊は、「大人の遊び剣術」の先生方だから小手先の技術には優れていても、人をぶった斬る力量には欠けていたと考えられる。
これは空手を格闘術と考えた場合、格闘で威力発揮するのは先ず、チーシー、サーシーなどを使った重量トレーニングで鍛えた筋力が第一で、次いでスポーツ等で磨いた技術力、もっとも劣るのは武術としての形すなわちスタイルの練習だろう。
三発、五発殴らせて一発で殴り倒す力量が第一、それを持つ者同士の戦いではスポーツ等による技術力、そこまでが同じなら形等で伝えられた武術に優れた者が残ると言うことになるだろう。
この最後のところを中心に練習するのが空手の一般的な練習だと考えれば、唐手の練習を考える時、何が大事かを考えるのに役立つのではないだろうか。
伝えられる宮本武蔵の言葉に言葉に、「2丁の鉄砲の筒先を左右の手で握って、筒先を合わせる(銃床が最も遠い位置になり2丁の銃が水平になる)力量がなければ、剣術は無理だとあったそうだが、それは空手でも白兵戦の剣術でも同じだったのではないだろうか。
政治形態を含めない国号としては、日本は昔から日本だったが、政治形態を含めると明治以後は大日本帝国だった。日本併合以前の韓国は大韓帝国だったが、現在は大韓民国らしい。現在、中国や韓国で使われる日本の蔑称をご存じだろうか?「小日本」が日本国の蔑称である。中華人民共和国、大韓民国と小日本と言うことになる。中国から見れば、小日本の悪者安倍が現在の日本の総理大臣である。
現在では大日本を団体名として使っているのは数少ないかと思うが、筆者の知るところでは「大日本猟友会」がその一つである。大英帝国や大韓民国ではこのような団体は多いのではなかろうか。その意識がないと「小日本」と言う蔑称は意味を持たない。自国を誇りに思い、他国を軽蔑する時、小日本と言う言葉が意味を持つ。
国旗や国歌を尊ばない国民(それおw非国民と言う)が多い日本では、小日本と呼ばれてもピンと来ないのではないだろうか。
日本に駐留する米軍の家庭の幼児や小学生たちの、君が代や日の丸に対する尊敬の念は、米国国旗や国歌に対する尊敬の念と同じで、一般の日本人の比ではないことを筆者は海上自衛隊の観艦式で思い知らされた。自衛艦旗降納時に君が代が流れた途端、米軍人家族の幼児や小学生たちは、瞬時に直立不動になった。在日米軍家庭の子供たちに対しては、そのような家庭教育が施されていると想像される。
これは実は簡単な問題で、日本は現代語の発音なら二ホン、平安時代より前の発音ならニッポンだったと考えられる。現在は人により団体により、ニホンともニッポンとも呼ばれるが、どちらの発音も中国音であり、日本語の本来の発音なら「ヒノモト」である。(これを訓読みと言う)
ヤパンとかジッポンと言う外国での呼称はニッポンから出たものだろうし、中国北方音ならジツポニ、南方音ならニチポニだったのではないか。
本来の日本語の発音には促音(ニッポンのッ)や撥音(ニホンのン)は存在しなかった。だから、古代の日本ではニホンの発音もないし、ニッポンの発音もなかった。第一、ハフィフヘホは古代はパピプペポと発音されていたからニホンは幾分新しい撥音である。パを濁音にすればバになる(pa→ba)になるが、ハの濁音は本来は存在しない。日は、中国の北方音(正規の発音)ならジツだし、南方音(仏教とともに伝わった)ならニツである。
これらを合わせ考えれば、空手の「かた」は形か型かと言うのと同様に、本来はどちらが正しいと言うようなことはない。国の機関や、組織などが決めた発音に従うということになろう。